言葉を語る際は…

「 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。」(コロサイ4:6)

私が語る際にいつも心がけたいと願う聖書の言葉です。「塩」があるかないか、どのように塩味をつけたか、塩梅が大切だと思うのです。何も考えずに語られたことはば「ぺちゃくちゃ」、おしゃべりにすぎません。独りごちているのです。ただちに実践できているとは思いません。最近の「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」と同様、…私もどうしてもカタカナが口をついてでます。河野防衛相がいうように日本語で言い換えることができるでしょう。「カタカナ」のお化けが恐怖感を煽っています。漢字の熟語も気をつけなければいけません。できていないからこそ反省をこめて、この言葉を思い起こすのです。最近、指導者と言われる人の、その「言葉の軽さ」が気になります。「綸言汗の如し」(『漢書』)という言葉を若い教員であったころ、ある会議の中で教えていただきました。「綸言」=為政者の言葉は皮膚から流れ出た汗のように元にもどすことはできない、責任をもって語れとの忠告の言葉です。考えてから語るように心がけたいと願います。そして、一つ一つの言葉を選ぶと同時に、どうそれを組み立てるかにも心を配りたいと願います。「マド」「スジ」「カド」に気をつけています。聴く人のとっかかり「窓」、聴く人に納得がいくような「筋=論理」、そして聴く人に印象をのこす「角=インパクト」のことです。気をつかわない「おしゃべり」もたのしいですが、いったん「語る」となった場合はしっかり「塩で味付けされた快い言葉」が口から出るようにありたいと思います。


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