「♪月の沙漠を…」



 「月の沙漠をはるばると」…大正期に佐藤まさを詞・佐々木すぐる曲で生まれた童謡です。月と沙漠、日本人にとって異国情緒があふれる童謡です。月が照る夜に駱駝にのった王子とお姫様がイメージされます。これが太陽であったら浪漫も何もありません。たんなるサバイブになってしまいます。

 私たちは神様というと太陽を思い浮かべます。ローマ時代のキリスト者も神を「義の太陽」とあがめました。一番強い光を放つ太陽が神を象徴するのは当然のように思います。しかしそれは農業が基盤となった社会でのことではないでしょうか。私たちはいま太陽暦という太陽の年変移を基準とした暦を用いています。歴史上太陽暦が生まれたのは古代エジプトであるといわれます。ナイル川の氾濫周期から太陽暦が構想されるにいたったと考えられています。なぜ氾濫周期が大事かといえば、それは農業の灌漑と不可分であったからです。エジプトが農業を基礎になりたった社会であったからこそ暦も太陽を基準とするにいたった。ではそれ以前は、もっとわかりやすい月の満ち欠け、朔望(新月と満月)を基準とした暦、つまり太陰暦が一般的であったと考えていいでしょう。そう太陽よりも月なのです。

 沙漠に生きる人びとにとって、太陽はむしろ脅威であり、その灼熱により人間のいのちさえ奪う恐るべき存在です。たほうその太陽が沈み、夜になって地上を令々と照らす月はむしろ人間の営みをあたたかく(「令」というぐらいですから冷たいのですが)、見守る存在に思えたことでしょう。という発想からでしょう、メソポタミアでは「月神」(シンボルは新月)が太陽神よりも偉大であり、やすらぎ・安穏を司どる神となります。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。』」という「他の神々」とはそのような神々でした。イスラエルの神、聖書の神にもその反響はのこっています。「新月、満月、わたしたちの祭りの日に」(詩編81:4)と月の朔望を目印に神への祭礼が行われていたことがわかります。しかし、聖書の神は決定的に、エジプトの神ともメソポタミアの神ともちがっていました。「大きな光るものと小さな光るもの」、太陽と月を創造し蒼穹にすえたのは自分たちの神だと言っているからです。ここに聖書信仰の独自性があると言われます。(正門前から新月と金星/2020年4月25日19時撮影)







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