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「孤り」ではなくて「独り」

 政府から人との接触を「8割に」ということで過ごしてきました。「新しい生活様式」ということで、人と人とのつながりもそのあり方を見直さなければなりません。もともと「ソーシャル・ディスタンス」と言われていましたが、最近は少し言い換えられたようです。「社会的な動物/zoon politikon」(アリストテレス)である人間の「社交」が妨げられるという感じがするので、「フィジカル・ディスタンス」をとっても「ソーシャルな/社会的」つながりは守ろういうことでしょう。

 聖書でも「人がひとりでいるのはよくない」(創世記)と言われています。人間に人と人とのつながりが不可欠という認識は古(いにしえ)よりの智恵であるのでしょう。ただここで大切なことは、人間は「孤り」と「独り」の違いです。「人間は一人でいるのはよくない」といえば、それは数のことです。ただその意味は「人間は孤りでいるのはよくない」という意味だと思います。「鰥寡孤独」という言葉があるそうです。「鰥」が「老いて妻のいない夫」、「寡」が「夫がいない妻」、「孤」は「親がいない子ども」、「独」が「子どもがいない親」、いずれも「身寄りのない寂しい者」(三省堂 新明解四字熟語辞典を指します。「孤」は「孤児」という言葉に生きています。「独」は、出典の『孟子 梁恵王下』では「子どもが先に世を去ってしまい、面倒を見てくれる人いない」ことです。

 私にも皆さんぐらいの年齢の子どもがいます。親の願いとしては「面倒をみてほしい」というよりも、まずはしっかりと「独り立ち」してほしい…、親は自分で何とかやっていくという気持ちでいます。まずは「人間は独りで生きていかねばならない」ことをしっかりと理解してほしい。でも何かあれば、しっかり見守っていたい、「孤り」ではないのだからという思いです。「孤り」でなく「独り」であり、「lonely」でなく「alone」なのだと思います。人は責任をもつ者として唯一無二の存在として「独り」生き死んでいきます。しかし、その生涯を共に生きる他者も必要としています、その意味で「孤り」で生きていくことはできません。この辺りを取り違えないことです。そして聖書は「独りで」決断しなければならないときでも「孤り」ではない、そのときでさえ「神が共にいる」と語ります。アブラハムの生涯のように……。

 「孤独のグルメ」というコミック・テレビ番組があります。原作者の久住昌之さんは、あれは「孤独なグルメ」ではなく、「孤独のグルメ」だということと強調されています。主人公の「井之頭五郎/演・松重豊」は「一人飯」をくりかえしますが、「ぼっち食べ」(孤独なグルメ)をしているのではなく、誰にも構わずに「自分が本当においしい」(孤独のグルメ)と感じるものを堪能しています。ほんとうの意味で「自分がうまし」と思うときに、その美味しさは突き抜けて「誰もが食べたいなあ…」と共感する何かに変わるというところがこのコミック・番組の醍醐味(!)です。「独り」が「孤り」を超克した瞬間です。「ひとり」「独り」「孤り」「alone」「lonely」「孤独の」「孤独な」…、いまこのときだからこそ思い巡らせたらどうでしょうか。(画像は Infographic @ “To End Loneliness” Campaign 2018 から転載)


 


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